南中ソーランとは… | ||
![]() 昭和60年(1985年)荒れから再生に向けての学校方針が確立する中で、文化活動発表会が生まれた。その文化活動発表会を契機に生まれたのが南中郷土芸能部「学び座」である。これは民族歌舞団「わらび座」と荒れから再生を目指す教育活動のスローガンであった「学びあい」の2つの言葉をもじってつけたものであるソーラン節は南中郷土芸能部の「花」であり、南中再生の「象徴」となったのである。 平成5年(1993年)昼夜を問わない熱意ある教師たちの指導は、子供の踊りを引き上げた。この時、民謡歌手の伊藤多喜男さんと、舞踊家の春日寿升さんとの出会いがあった。第9回文化活動発表会の会場は感動の拍手の中につつまれていた。力強いテンポのソーラン節に加え、ジャンルにとらわれない振り付け、これが南中ソーランの創造の船出であった。 平成5年12月第10回日本民謡民舞大賞、グランプリ(総理大臣賞)の授賞。司会の吉幾三さんが大賞を読み上げる、「ソーラン節・稚内南中学校郷土芸能部」の声に20人の学び座メンバーは泣いた。過去に例のない高得点での大賞受賞。最北の風雪、カモメ、漁師、そして海峡の町稚内を表現した「南中ソーラン」は、この時はじめて"日本一"の喝采をあびたのです。平成10年5月 ”稚内発「学び座」ソーランの歌が聞こえる” の題名で、安達祐美主演で映画化され話題を集めた。
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